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ガラテヤ人への手紙 2:2 - Japanese: 聖書 口語訳

2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

2 このエルサレム行きは、神からの明確な指示に基づいたもので、私が外国人に伝えている道について、エルサレムのイエスの信者と話し合うのが、目的だった。 私は、教会の指導者たちと個人的に話し合った。 それは、私の教えてきた内容を、正しく理解してもらい、また、その正当性を認めてもらうため。さらには自分の働きを無駄にしたくなかったのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。

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リビングバイブル

2 このエルサレム行きは、神からの明確な指示に基づいたもので、私が外国人に伝えているキリストの福音について、エルサレムのクリスチャンと話し合うのが目的でした。私は、教会の指導者たちと個人的に話し合いました。それは、私の教えてきた内容を正しく理解してもらい、また、その正当性を認めてもらうためでした。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

2 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

2 私がエルサレムを訪れたのは神からの明確な指示があったからだ。ユダヤ人以外の者たちに伝えたその最高な知らせをエルサレムの人々にも説明するためだった。また、私はそこで人々を導いているリーダーたちと思われる人たちにも出会い、私と同じ思いでいるのかを確かめたかったのだ。そうすることで私が今までしてきたことと、今していることが無駄にならずに済むからだ。

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聖書 口語訳

2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。

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ガラテヤ人への手紙 2:2
26 相互参照  

死んだはえは、香料を造る者の あぶらを臭くし、 少しの愚痴は知恵と誉よりも重い。


わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。


すると、全会衆は黙ってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。


そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。


エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。


すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。


その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。


ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、


ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。


しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、


なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。


あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。


そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。


わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。


わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。


異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、


あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。


そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。


かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。


あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのか。


このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。


こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。


そこで、わたしはこれ以上耐えられなくなって、もしや「試みる者」があなたがたを試み、そのためにわたしたちの労苦がむだになりはしないかと気づかって、あなたがたの信仰を知るために、彼をつかわしたのである。


わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。


こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。


私たちに従ってください:

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